想像の「像」と動物の「象」 阿辻哲次さん
娘が3歳の時、食卓では愛くるしいクマが描かれた茶碗(ちゃわん)を使い、寝る時には小さなクマをふとんに持ちこんで抱き枕としていた。
クマは娘のお気に入りの動物だった。だが幼稚園の親子遠足で動物園に行き、そこではじめて見たクマの実物は、真っ黒で毛むくじゃらの、寝そべってばかりいる動物で、茶碗に描かれたかわいい生き物ではなかった。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD208690Q5A220C2000000
ここ、とても良かったので。記録しておきたくて。毎週楽しみにしている記事から抜粋。
紀元前250年前後に、韓非子(かんぴし)という人物が自分の考えを書物にまとめた。歴史や漢文の授業で学習するあの『韓非子』だが、その「解老篇」に「人が生きている象の姿を目にすることはめったにない。だから地中から発見される死んだ象の骨を見た時に、その生きている時の姿をあれこれ考える。それで人々が心の中で《想》うことを《象》(=像)というのだ」と書かれている。
これが私たちもよく使う「想像」という言葉のルーツである。