孟子と孔子

ラジオで、元気な時は孔子の教え、悩んでいるときは孟子の教えと聞き、そうなんだ~と。「子いわく~」ぐらいのフレーズしか思いつかないけど、いつか時間があったら調べたいなと思っていたら、東京新聞で、作家宮城谷昌光さんが、孟子の名文の紹介記事。

 孟子の教え 「古人は民と偕(とも)に楽しむ。故に能(よ)く楽しめるなり」。孟子は時の権力者恵王に、民が望まないのに民を酷使して庭を造りひとりで楽しんでいる恵王を暗に批判したという名文、つまり賢者は民に慕われてこそであると。

ChatGTPに2人の背景や思想の違いを聞いてみたら、2人とも紀元前の思想家。この前の記事でも書いたけど、人って、いつの時代もどこの国でもやっていることや望むところは変わらないなと思う。だから、良いところも悪いところも含めて人の本質は変えられないという前提になるんじゃないかな・・・と感じる。だから、問題が発生したら、その時代時代に会わせた方法で対処していく・・・方法の変化多様性を受け入れるしかないように感じる・・・ただ、方法は時代によって変わっても、本質が変わらないのだから、核となる哲学はずっと不変なんじゃないかと感じる。

  1. 背景と時代の違い
    孔子 (紀元前551年〜紀元前479年)
    孔子は春秋時代に生きた思想家であり、この時代は周王朝の権威が衰え、諸侯が分立していた時代でした。孔子は礼や道徳を通じて社会の安定を取り戻そうとし、理想的な統治のモデルとして「周の礼」を強調しました。

孟子 (紀元前372年〜紀元前289年頃)
孟子は戦国時代に生き、孔子の弟子たちの伝統を受け継ぎつつ、自らの思想を発展させました。この時代は孔子の時代よりも戦乱が激しく、国が力を求めて拡張政策を進めるようになっていました。孟子はこうした状況に応じて、より現実的かつ強い倫理的な主張を行いました。

  1. 思想の違い
    孔子の思想

中心概念:仁と礼
仁:人間関係の根本であり、人を思いやる心。
礼:社会の秩序を保つための行動規範や儀礼。
個人の道徳的修養を重視し、それが社会全体の安定に繋がると考えました。
修身斉家治国平天下
個人の修養(修身)を出発点とし、家庭、国家、天下に広げていく秩序観を提示しました。
孟子の思想

中心概念:性善説と王道政治
性善説:人間の本性は善であると考え、教育や環境がそれを引き出すと主張。これにより人間の可能性を強調しました。
王道政治:徳治主義を掲げ、民衆の幸福を最優先にする政治を理想としました。民衆を苦しめる暴政を批判し、民衆の幸福を中心に据えるべきと説きました。
天命と民意
天命による正統性を説きつつも、民衆の支持が統治者の正当性を決定すると考え、「民は貴く、君は軽し」と主張しました。

  1. 政治思想の違い
    孔子の政治思想

過去の理想的な統治(周の礼)を模範とし、君主が道徳的模範を示すことで国を治めることを提案しました。
実現可能性よりも理想的なビジョンを重視しました。


孟子の政治思想

孟子はより現実的な視点を持ち、民衆の生活を改善する政治を提案しました。戦国時代の混乱において、暴政を否定し、徳による統治を求めました。
また、暴君に対する革命を肯定するような思想も含まれており、孔子よりも強い政治的主張を持っています。

  1. 弟子たちとの関係
    孔子

弟子たちは多くの階層にわたり、「論語」として孔子の教えを後世に伝えました。
孔子自身は大きな成功を収められませんでしたが、弟子たちが彼の思想を広めました。


孟子

孟子は孔子の思想を継承しながらも独自の発展を遂げ、後世の儒教において孔子に次ぐ重要な位置を占めました。
自身の思想を記録した「孟子」によって、その教えが体系的に伝えられています。

  1. 対話と実践
    孔子
    孔子は対話を通じて弟子たちに教えを広め、道徳的な修養と社会秩序の復興に焦点を当てました。

 孟子
 孟子は諸国を巡り、君主に直接助言を行い、実践的な政治哲学を説きました。これは彼が生きた時代の戦乱に対処するためのものでした。

まとめ
孔子は理想的な社会秩序の構築を目指し、道徳と礼を基盤にした思想を重視しました。一方、孟子は孔子の思想を受け継ぎつつ、人間性の善性や民衆の幸福を中心に据え、現実的かつ積極的な政治思想を展開しました。それぞれの思想は時代背景を反映し、儒教の発展に大きく寄与しています。