宮川保子作品展に行ってみて

先日の日経で紹介されていた記事

「源氏物語」などの古筆、料紙から始まる複製本作り

15年ほどかかった「源氏物語54帖(じょう)」創作書写とハーバード本、歴博本の複製本は4月16〜21日、東京・銀座の鳩居堂で開く個展で展示する。拙い作品だが、多少なりともみやびさを感じてもらえればうれしい。

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いける日が今日の夕方しかなかったので、早速行ってきました。すばらしい作品の数々でした。ご本人とお話させていただく機会もあり、疑問をお伺いさせていただきました。

源氏物語の臨書できるものはないはずなので、すべて古筆かなは創作によるものかとお伺いしたところ、ご本人の創作とのことでした。にしても、物語に合わせて和紙のデザインを考案し、文字の配置なども工夫されたとのことでした。しかし、その創作期間は15年ほど、実はその前に35年間高野切を始め臨書のお手本とされた様々な古筆を臨書されたとのことでした。忘れられないお言葉として「書は、書道、道である以上、古筆の臨書をし続け臨書通りに書けるようになることが基本である」と力強くおっしゃっていました。今通っている書道の先生方と同じことをおっしゃっていました。

書道に何を求めるか・・・悩ましいですね。

高野切第三種の臨書を、やっと終えたところですが、だいたい10回以上は、卒業作品を書いたでしょうか。書けば書くほど、何を持って基本となるのか・・・文字なので、たとえば「ゆ」「の」「あ」でも何パターンもある・・・たとえばデッサンのように基本ラインの構図の取り方などと比較すると、この書から基本ラインとそう書くべき理由が見いだせない。これを何十年もかけて身をもって感覚として習得することが求められるのだろうか・・・それが道なのだろうか。歴史を学ぶと、この古筆かなが公家文化として花開いたのは、遣唐使が廃止されてた平安後期200年ほどの間だろうか・・・それ以降古筆かなが、その書道が道として追求されてきたのだろうか。江戸時代に浮世絵などそのあたりの芸術が花開き、源氏物語もたくさん書かれたようだが、そこに古筆かなの道として深堀があったのだろうか。浮世絵とセットになったかな文字だったのか、そのあたりが今一つわからない。

そうそう、Audeibleで岡本隆司さんの「中国史とつなげて学ぶ日本全史」を聴いているのですが、どうして文字ができたのか、どうして日本は文字をもたなかったのかという疑問に答えてくれる説明がありました。中国も、メソポタミアも、エジプトも、すべて、狩猟民族と農耕民族の汽水域で文字が発生している、それは、文字がないと文化の違うグループの交流や争いに必要だったから、そこから宗教も生まれていったと。なるほど、海に囲まれ四季のある日本では、恐らく食べ物などの争いはおこらなかった、なので文字が生まれる必要がなかったのかと。文中でおっしゃっていたのは、文字として文献がない以上、推定にしかならないがということでした。このあたりまだまだいろいろな説があるんだろうなと思います。ただ、ひとつ有力な説に巡り合えてうれしいですね。