半歩遅れの読書術

『彼女は頭が悪いから』(文芸春秋)。すごいタイトルだ。これは、2016年に実際に起きた、東大生5人による強制わいせつ事件に着想を得て書かれたフィクションである。一言で言うと、頭のいい思い上がった心のない東大生に、それほどは頭のよくない女子大生のいい子が酷(ひど)い目にあう話である。こう言ってしまうと、身も蓋もないが。これを書こうとしたのが凄(すご)い。いかにも姫野カオルコだ。怖いところに手をつける。そこには何かぐつぐつと魔女の鍋のようなものがありそうだ。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO88875070T20C25A5MY5000

有名な脚本家の北川さんの、姫野カオルコさんの本の書評。そのなかに、「書いているとふっと楽になることがある。写経ってこんな感じなのかな」「書くってことは伝えることではなく生きることそのままではないだろうか」

著名な物書きお二人と、同列に考えてはいけないのですが、私が、このブログをなんとなく書いている理由もそうなのかも。自分の思考や考え続けることは、書くことでずいぶん整理されるし、その履歴はブログに残っている。じゃぁ、自分用の日記でいいのではと思うのですが、とても少ない読者(この状態が私的には心地よいのですが)でも誰かが読んでくださると思うと、わかるように伝えなきゃとも意識するし、細く長く、きっと、あたたかい気持ちで読んでいただけると嬉しいなと思う。書道も、そんな側面は似ているのかも。