ブッダを探して 草薙龍瞬さんのコラム
東京新聞で毎週日曜日に連載されている草薙龍瞬さんのコラム。すごい才能がゆえかもしれませんが、10代のころから、自分の居場所を探し続け、夜の酒場で働いてみたり、東大に入学してみたり、仏教の道に入って、ついには、ブッタの教えを学ぶべくミャンマーに行き、そして現地の仏教大学を卒業して日本に帰るところまで来ました。いずれ近い将来、子供たちも同様にきっとモラトリアムの時期に思い悩むことだろうなと思って、この方が、どこで、自分の居場所、自分自身が納得できる思考を掴むことができるのか、気になっていました。先週、今週で心に刻んでおきたい言葉があったのでメモ。
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・・・ずっと失望を繰り返してきた。もの心をついた頃からずっと・・・仏教もまた砂漠だった。なんて哀しく、寂しい結末だろう。・・・・・僕はずっと独りだった。この世界のどこかに答えがあると思っていた。一生かけて世界の果てまで旅しても、遭遇するのは同じ疑問と質問だろう。そこにいるのは人間だからだ。・・・・・その見極めがつくようになったことこそ、ブッダが僕に教えてくれたことかもしれない。
真実は主観的なものだ。自分が真実だと思えればいい・・・・・自分にとっての真実が他者にも通じるのは、どんなときか。人が真実だと認めたときだ。・・・・真実は関係依存的なものなのだ。
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私も、というとおこがましいですが・・・なんとなくそのような似たようなことを感じるようになっていたところ・・・真実は立ち位置によって変わるし、真実は人それぞれの価値でもあるよなと。だから自分の考える真実がすべてではないこと、だからこそ、自分が考える真実の主観と客観の重要性を感じています。でも。これって、いろいろな経験と失敗、知識と年齢を積み重ねて、ふと後ろを振り返る時間ができたからこそ感じたり見える景色なのかも。