進まぬ多様性 三つの名前をもつ女
記者として、さまざまな局面の人間模様を描かせてもらってきた。ひるがえって、記者が自身の身の上をあれやこれやと語ることはあまりなく人の人生を根掘り葉掘り聞く割に、記者は案外フェアではないかもなと思ってきた。そんなところで、今日は、私に降りかかっている事態から説明したい。私は今、名前について深く考えさせられる機会を得ている。新聞でこの言葉を見ない日はないというほど伝えられている選択的夫婦別姓問題についてだ。まず押さえておきたいこととして、私は通称名を使っていない。木原とは結婚後の姓だ。本紙は記事に署名を付けるが、結婚で名字を変える側の多くの女性記者は旧姓のままの人が圧倒的だ。ではなぜ私は署名を変えたのか。これに特段深い理由はなく、入社すぐ結婚したためキャリアといえるものはなく、戸籍名と署名が違うのが逆にわずらわしく、別姓が選べない以上、夫の姓に変えただけだ。変更当初、ふわふわした感覚は残ったが、もう一人の自分を手に入れたようで、それはそれで良かった。ただその後、離婚。今度は逆に旧姓に戻すのがおっくうになった。公的書類はもちろん、通帳やパスポート、クレジットカード、保険…。全てを塗り替える気力は残っておらず、私は元夫の姓で新戸籍を作り、仕事でもそのまま元夫姓を堂々と名乗ってきた。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/383628
この記事、とてもおもしろかった。
この記事の最後に
日本に根付くパターナリズム(父権主義)そのもの。国連からの4度目の勧告もスルー と紹介。
選択的なんだから、別姓もOKにすればいいのにと思うんだけど、なかなか進まないのはこういうことか。要は、時代背景が変わっても、価値観が変わっても、学校で家庭科授業を女子男子関係なく学ぶような時代になっても、選択的別姓すら認めたくないのは、家父長的立場の特権を失いたくないという年代の抵抗ということ。その年代の入れ替えで解決することなのか・・・あと数十年先には、選択的別姓もスタンダードな時代がくるかしら?