漢字と日本人(著者 高島俊男)を読んで
私の疑問のほとんどが書いてありました。何度か読み返し、少しずつまとめていこうと思います。
Wikiによりますと、高島先生は、お亡くなりになっているようですが、一度講義を聞きたかったです。大学教授としては、割とアウトローな経歴のようです。だから、いろいろな本に書かれている事実に対して、その理由や裏側まで納得できる解釈を書いてくださっていて、とてもわかりやすかったです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E4%BF%8A%E7%94%B7
3年前に書道を始め、そのうち漢字・かなの成り立ちに興味を持ち、そして日本のアイデンティティの根源など、あちらこちらに疑問が広がっていますが、今回は、特に日本のアイデンティティと日本語は切っても切り離せないないんだと、日本語の成り立ちを理解しないと現在の日本語、ひいては、子どもたちが学ぶ国語や英語についても、何を学ぶことが大事なのかということまで深く影響することを再認識しました。
私がよく疑問に思っていることをメモ。
・ハリーポッターでは、子どもたちが大昔の魔術書を読むシーンが出て、うらやましいと思っていました。私を含めて、古典は学びますが、平安時代だけでなく、江戸時代や明治時代、大昭時代の本をまともに読めないのですから。その理由もこの本に書いてありました。
・明治33年のかな50音統一まで、なぜ33年もかかったのだろうとか、なぜ江戸時代まで200~300もかなが増えていたのだろうとか、江戸時代まで漢字は知性的で、かなは低俗的な扱いだったのだろうとか、筆写体とか口語体とかどういうなりたちなんだろうとか、戦後当用漢字とか漢字の数が決められたり旧字体とか新字体とか・・・・・本当に疑問がつきなかったのだが、これらに対する解釈がこの本には、網羅されていました。もちろん、解釈だと思いますので、これからも探求していこうと思っているのでメモメモしています。
・どうして日本人は英語ができないのか。ずっと疑問です。指導方法や教え方が悪いとか言われますが、それでも納得できなかった。理由は、自分自身の体験から、私は英語が好きでしたので、学べば学ぶほど、翻訳された日本語との乖離を感じていて、最後は英英辞典を使っていました。つまり、授業で学ぶ英語と翻訳された日本語が感覚的にマッチしていない違和感をなんとなく感じていました。この本を読み、そうなるのは必然だったことがわかります。つまり、英語も言葉なので、日本語に置き換えてしまうと、言葉そのもののニュアンスなどは理解できないからです。うーん、このあたり、なかなか端的にまとめられない・・・今後まとめていこうと思います。いずれにしても、古代、日本語には文字がなかった、漢語(漢字)が入ってきて、むりやり日本語と漢字をくっつけた、その過程でかなやカナが日本語として生まれた、そして明治時代、英語が入ってきてむりやりその当時の日本語とくっつけたり作った。なので、日本語って、言葉としてはオリジナルの日本語も現存しているものの、文字としては文字がなかったので、漢字に翻訳し受け入れるカルチャーが続いていたんですよね。
・あと、ずっと疑問だったこと、韓国がハングル語に統一したことも、なぜそのようなことができたのか。このあたりにもヒントがありそう。
・そうそう、なぜ、日本語は言葉としてあって、文字が誕生しなかったのか・・・世界4大古代文明で、文字が生まれた経緯を考えると、日本は環境的に恵まれていたからという説もあるので、このあたりももう少し深ぼっていきたいですね。
なぜ、こんなに興味がわくのか、きっかけは書道ですが、このような疑問を追求していくと、子どもの教育、学校で学んでいることや受験勉強などに密接に関係していることがわかってくるんですよね。特に国語や英語、道徳など。そして、現在の日本語として使われる漢字やかな、そしてそれらを使った日本語教育には、特に、明治以降、政策政治的な意図のもとに作られている、それは日本としての文化やアイデンティティまで考慮されていたのかと疑問に思う。特に子どもの教育にかかわるので、自分自身の軸をもっていたいと思うから、それもあってあれこれ疑問となるのかも。でも、この政治的な思惑で制度が作られているのは、今の税制度に通じるところがあるなと。いつの時代も業かな。