遊び絵 江戸のユーモア(7)葛飾北斎「六歌仙 小野小町

文字の始まりは絵である。記号的な略画が年月を経て文字になる。文字と絵は兄弟で、日本では筆という道具を使うので、その描線は多様な表情を持って再び絵に忍び込む。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD0664N0W5A100C2000000

小野小町の歌、下の句の最初、

世の  中乃  ひとの  心能

助詞「の」 が3パターン。

このあたりのチョイスをどうして区別していたのか、この理由までは、私は理解していないのですが、いつも疑問に思っています。

和歌特有だったり、ある本によると、ひとつの音(かな)に対して、50パターンのかな&漢字もあったとか。それに、明治期まで、識字率も低く、特に女性はかなり低く、なので音が常用される時代だった。だから、明治政府も200も300もあったかな文字を整理したり、今話題の戸籍のデジタル化に伴い戸籍にフリガナをすることになるんだろうなと思う。

でも繰り言ですが、どういうシーンで、一つの音に対して、何パターンもある仮名や漢字をあてはめるルールがあったのかまでの説明をしている本には出合えてないのでこのあたり、知りたいところです。