わが子に「なぜ古文を勉強しないといけないのか」と問われた時・・・

プレジデントオンラインから。

https://president.jp/articles/-/79729

この記事の内容よりも、私が書道を、とくに古筆かなを学び始めて、古文というより日本語に対して疑問だらけになってしまい、いろいろな本を読んだり聞いたりしている。なぜ、古筆かなを学ぶことで、疑問が出てくるのか、それは、古筆かなが、フォルムが美しいとか、優雅な平安時代とか、日本特有の文字とか、そういう、見た目をベースにして語られることが多いからです。楷書や草書など、古代中国の大家の作品は、日本でもすばらしい作品として、人物像や、歴史的背景やロジックなども明確な場合が多い。しかし、古筆かなは違う。しかも、中国から渡ってきた漢字は今も使っているが、古筆かなは使っていないものも多い。かなは日本的と言われるものの、漢字もずっと使われてきた。じゃぁ漢字は日本的でないのかなど。時代を通じて、仮名(和様)と漢字(唐様)が交互に盛衰を繰り返している感じ。

これまでは読んだりした本例

・日本語の誕生(沖森卓也) ・日本書道新史(春名好重)・新書道概論(石橋犀水)・日本国紀(百田尚樹)・その他いろいろ

やっと、だんだんいろいろなことが見えてきました。

日本には、漢字が来るまで、日本語の文字がなかったこと。なので、文字ができるまで伝聞や遺跡をベースにたくさんの諸説あり、漢字→万葉仮名→カナ→かなという流れをつくった400年以上も続いた平安時代。

旧石器時代から平安時代まで、ここに、いろいろな謎があることがわかってきました。だから、この間には、諸説、学説、宗教感、日本人のアイデンティなど、喧々諤々あるのかと。

そう考えると、高校かな?古文を学ぶためには、歴史的背景とともに学ばないとなんのこっちゃになると思う。私もそうだったから。それに、最近、日経でも源氏物語をずっと連載していて、今日は、あさきゆめみしの画像も。私が高校の時に古文がわからなくて友達から紹介されたマンガだったな。源氏物語の全容を知って、その大人な話にぎょっとした。そんなこと授業ではおしえてくれなかったし、そんな物語を授業でやっているのかと、高校生の私が古代の恋や不倫話をなぜ学ぶ必要があるのかとすら疑問に思ったものです。漫画だから特にクローズアップされていたようですが。しかし、この物語もその時代の一部分。庶民はひどい生活を強いられていたよう。

学校で学ぶ科目も縦割りだから、あまりつながりも見いだせないし、意味も見いだせないと、ただ受験のために覚えるだけの授業になってしまう。せっかく学ぶきっかけがあったのだから、知っておきたかった。もっと横断的に柔軟な学び方ってできないのうだろうか。多分、子どもたちもきっと知的好奇心がわくのではないかと思う。そうすると、古文を勉強しないといけないのかなんてならなそう。