千字文

書道の学校に通い始めて、

最初に日下部鳴鶴の「津田永忠碑」の臨書

次は、石橋犀水先生の「行書千字文」の臨書

今は、同先生の「楷書千字文」の臨書

千字文なので、千字書いています。

ところで、この千字文ですが、以下URLから抜粋

https://www.nijl.ac.jp/koten/kokubun1000/1000kato-sino.html

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千字文(せんじもん)』は梁の武帝(464年~549年)が周興嗣(しゅうこうし)に作らせた漢詩である。

「天地玄黄」からはじまる千字でつづられる詩文の全ての文字が重複しないという特徴を生かして、

文字を習うための初学の教科書や書道のお手本として、 あるいは「いろは」のように通し番号の役割としても用いられてきた。

中国では長い歴史のなかでさまざまな時代の書家が『千字文』を書き残しているが、 わが国においても、

特に江戸時代以降、池大雅(いけのたいが)与謝蕪村(よさぶそん)などの文人たちが『千字文』を唐様(からよう)の書でしたためている。

また、教育・啓蒙のために書家が書いた『千字文』が版本となって刊行されることもあった。

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その時代、日本だと、聖徳太子より少し前、古墳時代から飛鳥時代のころに作られたもの。

そして、王義之を始めたくさんの著名な方々が臨書した。

それが現代でも引き継がれてたくさんの書家や書道を学ぶ人々のテキストになっています。

すごいロマンを感じますね。

そして当時の中国の方々の文化の高さにもびっくりします。

いつか中国に書道の旅みたいな感じで、行きたいですね。

ただ、そのすばらしい千字文ですが、臨書していて気になる点が・・・

「女慕貞潔」「男効才良」「夫唱婦随」「入奉母儀」「妾御績紡」「侍巾帷房」

現代の女性の視点から見ると「えっ?!」と思うような表現もあります。

これまでの人の歴史のなかで、

子どもを育てる、子孫を守る、命をつなぐための制度として

男女の役割が機能している文化であればその時代として必要な哲学だったのかもしれませんが、

現代のように、男女の役割がいつのまにか、強い弱いになり、結果として、能力の差にすり替えられ

差別が生まれるような価値観として定着していたのであれば1500年前のお手本でも

男女のギャップは存在していたのかなと悲しい気持ちになります。

このあたり、おそらく孔子、儒教あたりが影響しているものだと思いますので

時間があるときに学んでみたいなと考えています。

それにしても、書道の学びは深く広がっていて…大丈夫かなと思いますね(苦笑)