基礎1-5

・書道 10/25

津田永忠碑の書体と背景を少し学ぶ。

日下部鳴鶴が、六朝書道を学びその過程で廻腕法に導かれ確立していく

でも、疑問がたくさん湧いてきいろいろ調べ始めました.

以下は、ほとんど自分のメモ用として。

江戸幕府の文章形式は、主に幕府押しの御家流(和様)と唐様(中国風の様式)があった。

しかし、活版印刷技術とともに、明治政府は唐様を採用し、その時に唐様の書家であった日下部鳴鶴らが

役人として登用されていた。

ちょうどなのかな、六朝楷書を研究していた楊守敬が来日、六朝楷書に衝撃を受けた日下部鳴鶴らがそれを学び

日本の書道界に大きな影響を与え、今日に至るらしい。(意外とその歴史が現代に寄っていたのに驚いた)

結果として、伝統的な御家流(和様)が陰ってしまったが、やがて日本独自の文化でであった和様を研究した

書家も出てきた。

歴史的背景が少しずつわかってきました・・・

和様と唐様、そして現代の書道の流れに大きく影響した六朝楷書、もう少し研究して

整理していきたいですね。

それにしても、衝撃的だったのは、明治時代に、文章様式を御家流から唐様に変更し

江戸時代の寺子屋などで学ばれていたひらがなが約200とか300とかあったものを

50音まで整理し併せてカタカナも整理制定したらしいです。(活版技術活用のためだったらしいですが)

結果として、明治時代に制定されたこれらの文字が現代の日本語の元になったことで、

私たちは、江戸時代の文章を読むことができない。

でも、英語やフランス語などの言語圏だと、子供でも、200年前の文章も読めるのではないかしら?

ハリーポッターでも、昔の本を読むシーンがたくさん出てきていたし。

このあたりも、学校のテキスト、ネットやYOUTUBEなどで調べたことなので、もう少し、専門の文献を探して

調べていきたいと思っています!(結構な古書になりそうなのでどこまでたどり着けるかですが)

それにしても、まさか、書道から、日本語の歴史背景につながり、そしてこれって、日本語教育のアイデンティティに

つながるような気がしていて、予想以上に膨らみ始めていて、自分でもびっくりしています。